2023年連載シリーズ 計12回・半月毎の予定で掲載を開始します。 なお、当面の間、諸権利の保護のため、複写禁止とします。 〔2024/05/26更新〕編集後記 実業家・西山亀太郎 『本編編集中』 引き続き『実業家・西山亀太郎(本編)』を執筆・編集中です。 西山亀太郎関係の資料を探しております。 特に次の資料を優先的に探しております。 お持ちの方は御連絡をお願いします。 メール:shinji8011@yahoo.co.jp 、☎:090-7933-7805 1. 磐越東線関係 ① 大正6年10月10日・平郡線鉄道全通式の写真 (郡山駅前での全線開通式の写真) 2. 郡山財界七人の侍 ① 小口小四郎の肖像写真 ② 梅野猶太郎の経歴 3. 新町軌道㈱ ① 写真 ② 事業報告書(第1回~第9回、第11回) 4. 新町商事㈱ ① 事業報告書(第1回~第4回) 5. 電力会社関係 ① 磐城電気㈱・平汽力発電所 など 〔2023/12/15掲載〕 最終回実業家・西山亀太郎 『郡山起業社』 郡山経済七人の侍③ (出典:『福島縣百番附』大正11年12月28日、大和久治 編、福島縣百番附発行所 発行) 〔2023/12/01掲載〕 〔2023/11/16掲載〕 実業家・西山亀太郎 『郡山起業社』 郡山経済七人の侍① (出典:『新町軌道 登記簿』国立公文書館所蔵文書) (出典:『官報 第2744号』昭和11年2月27日発行〔部分〕) 〔2023/10/16掲載〕 実業家・西山亀太郎 『新町軌道㈱・社長』① 大正9年(1920)11月24日 会社設立(亀太郎51歳) 昭和9年(1934)10月13日 会社解散 昭和10年(1935)9月4日 西山亀太郎 逝去(行年67歳) 昭和15年(1940)8月28日 会社清算結了 昭和4年下期頃の現況 (出典:『新町軌道 軌道敷設特許の件』国立公文書館所蔵文書) 新町軌道㈱・専用軌道の営業成績(木炭の例) (トップページに戻る) 〔2023/10/01掲載〕 実業家・西山亀太郎 『東部電力㈱・常務取締役』 大正14年(1925)1月13日 郡山電気㈱から改称(亀太郎55歳) 大正14年(1925)6月30日 茨城電力㈱を合併(日付は『官報』による) 昭和10年(1935)9月4日 西山亀太郎 逝去(享年67歳) (昭和11年(1936)6月22日 大日本電力㈱に合併・会社解散) (出典:『関東の電気事業と東京電力 資料編』2002年3月31日、東京電力㈱発行) 〔2023/09/15掲載〕 実業家・西山亀太郎 『郡山電気㈱・常務取締役』 明治31年(1898)2月10日 郡山絹糸紡績㈱として会社設立 大正5年(1916)1月24日 郡山電気㈱に改称 大正14年(1925)1月13日 東部電力㈱に改称 〇 (出典:『第五拾貮回営業報告書』大正13年上半期、郡山電気㈱発行) 郡役所楼上より郡電会社と市街の一部を望む 郡電本社 〇 小野新町営業所の営業範囲 (出典:『第五拾参回営業報告書』大正13年下半期、郡山電気㈱発行) 〇 (出典:『よろづ重宝 大正十三年十月現行 電話早わかり』大正13年12月23日、福島実業新聞社発行)
〔2023/09/01掲載〕実業家・西山亀太郎 『夏井川水電㈱・取締役』 大正3年(1914)4月3日 会社設立(亀太郎44歳) 大正6年(1917)10月20日 郡山電気㈱に合併・会社解散 公告 夏井川水電株式募集 (出典:『福島民報』大正3年1月5日掲載) 〇 「磐越東線全通」当日の新聞広告 (出典:『福島民報』大正6年10月10日掲載) 西山のレガシー。川前発電所、今日も稼働中! 〇 夏井川水電㈱小野新町支店社員集合写真 〇 (大正5年1月3日、小野新町大字谷津作字下都) 〇 (出典:『写真が語る 郡山・田村の100年』2020年10月16日、㈱いき出版発行) (ページのトップに戻る) 〔2023/08/12掲載〕実業家・西山亀太郎 『磐越東線建設・納税代理人(委任状)』 磐越東線:大正6年(1917)10月10日 全線開通 JR磐越東線の建設に当り、当時の鉄道院(後の国鉄)は、土地の地権者毎に個別に交渉するのではなく、町長および各地域の代表者と交渉した。 西山は大正元年、小野町大字谷津作(やつざく)在住地権者の委任の「納税代理人」を務めた(亀太郎43歳)。
上記の委任状は、各地権者が代表権を委任するための明治45年12月1日付※の書類です。 ※:同年7月30日に大正に改元
〔2023/08/01掲載〕実業家・西山亀太郎 『新町電気㈱・専務取締役』 明治45年(1912)2月9日 電気事業許可(配電専業) 明治45年(1912)3月21日 会社設立(亀太郎42歳) 大正元年(1912)10月10日 電気事業開始 小野新町初の点灯(郡山絹糸紡績㈱小野新町変電所より受電) 大正3年(1914)8月9日 夏井川水電㈱に合併・会社解散 (出典:『明治工業史 電気篇』折込地図、昭和3年10月20日、㈶工學會 著、内外出版印刷㈱発行) 〔2023/07/15掲載〕実業家・西山亀太郎 『常磐水力電気㈱・賛成人』 これは、地元の市町史が伝える「平郡電鉄(俗称)」を計画した会社 | | この時、亀太郎37歳 (出典:『福島民友』明治39年12月16日掲載) | (補足説明) 賛成人の欄に、2人の「郡山町 今泉久二郎」がいるが、 上段は「今泉久三郎(1845年~1912年)」、 下段は「今泉久次郎(1858年~1946年)の誤植と推定する。 | 平郡電鉄(俗称)の実態は次のとおり | | (出典:『官報』などから筆者作成) | | (出典:『岩磐電気軌道敷設特許状 写』) | (ページのトップに戻る) 〔2023/07/01掲載〕実業家・西山亀太郎 『 略歴 』 旧暦 明治2年7月4日(新暦 1869.8.11)、小野町大字小野新町字荒町の「西田屋旅館(現・「西田屋本店旅館(割ぽう)」)」で生れた。 若くして郡山町(現・郡山市)の「伊勢万呉服店」で奉公し、同店生まれの〔初代〕橋本万右衛門と出会う。 明治期後半頃から、〔初代〕橋本万右衛門と共に実業家として活躍し、郡山町大発展に寄与した。 大正7年(1918)「西田屋旅館」の経営を実弟・西山平治に相続して、郡山町に移転した。 〔初代〕橋本万右衛門等と「匿名組合 郡山起業社」を起こし、「郡山財界七人の侍」と呼ばれた。 昭和10年(1935)9月4日逝去(行年67歳)。 作詞家・丘灯至夫(本名:西山安吉、小野町名誉町民 第1号)の実父。 主な、業績は次回以降に連載する。 | | | 西山亀太郎 | 西山平治 | 丘灯至夫 | (出典:『20世紀 郡山の人脈 | (昭和8年6月撮影) | (丘ノブヨ夫人・提供) | 政治・経済編』 山崎義人 著、 昭和62年12年5日、 歴史春秋出版㈱発行) | | | (出典:『新町みやげ』大正4年3月20日、小野新町振興会発行) | (ページのトップに戻る) 33万都市・福島県郡山市は、明治時代のはじめの「開成社」による桑野原野(開成山地域)開拓に始まる「安積開拓」と「安積疎水の開削」がおこなわれたことが礎となり、大発展をとげた。 この大発展の陰には、多くの先人の波乱にとんだ活躍があったが、その一人として小野町(福島県田村郡小野町)出身の西山亀太郎がいた。 今では西山の名を知っている人はほとんどいなくなったが、かつて「郡山財界七人の侍」といわれ、現在の東北電力㈱などに継承された「水力発電開発にかけ」、「地元の産業発展に寄与した男」の足跡をおってみる。 本シリーズでは、凡そ次の概要を紹介する。 なお、西山亀太郎は「作詞家・丘灯至夫(本名:西山安吉)」の実父である。 〔電力事業〕 新町電気㈱ → 夏井川水電㈱ → 郡山電気㈱ → 東部電力㈱ → 大日本電力㈱ → 東北配電㈱など → 東北電力㈱など 〔鉄道・軌道事業〕 ○ (俗称)平郡電鉄計画(常磐水力電気㈱・岩磐電気軌道㈱ → 常磐電気㈱) ○ 磐越東線建設(古称:平線、俗称:平郡線、岩磐線) ○ 新町軌道㈱(新町軌道㈱+新町商事㈱ → 新町軌道㈱) (一覧表に戻る) |