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〔2022年10月28日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ⑨ 農林業 (その3:繭・関連) 繭・養蚕業の関連資料として、「シルクラベル」を紹介します。 三春 郡山
〇 真製社・絵葉書 (出典:『郡山市史 第4巻 近代(上)』昭和44年4月30日、郡山市発行) 全て、現品所蔵または原本所蔵です。 (このページのトップに戻る)
【2022年9月24日掲載 ・特別編 店主の無形コレクション(補足)】 私の60回目の終戦記念日(補足資料) 8月16日付けの下記の記事に対して、意味不明とのご意見をいただきました。 私の考えの押付になってはいけないので、「ロシア・ウクライナ戦争」に関し て、ヒントを図表1に示します。 (出典:PRESIDENT Online 2022年4月30日 10:00掲載 より) 〔解説〕 国連総会は2022年4月7日、ロシアに対する「人権理事会の理事国としての資格停止 を求める決議」を、全加盟193ヵ国中、賛成93ヵ国、反対24ヵ国、棄権58ヵ国 で可決 しました(無投票18カ国)。 ちなみに、アジア47ヵ国中で賛成をした国は、 ①日本、②韓国、③フィリピン、④ミャンマー、⑤東チモール の5カ国でした。
【2022年8月16日掲載 ・特別編 店主の無形コレクション】 私の60回目の終戦記念日 日本人が平和を祈る日、8月15日の終戦記念日が終わりました。 実は、私は子どもの頃から8月15日が一年で一番嫌いな日です。 それは、この日のマスコミ報道を見ると、8月15日は「被害者・日本国民の日」に思えてならず、私にとっては憂鬱な一日になるからです。 「加害者・日本」はどこに行ってしまったのでしょうか? この日の日本を、世界はどう見ているのでしょうか? 特に今は、ウクライナ戦争(ロシア・ウクライナ戦争)の真っ只中です。 平和を祈り戦争の悲惨さを充分知っている日本人から、何故「ウクライナ戦争の具体的な終結案」が出てこないのでしょうか? 消耗戦の末に禍根を残して終結した第一次世界大戦や、圧倒的な勝敗で終結した第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争も含む)とは違う、被害を最小限にする別な方法を模索・提案すべきではないでしょうか? 日本人は民主主義を是とする国民です。 お互いに話し合って、妥協をして結論の出せる国民です。 日本こそウクライナとロシアの間に入って、和平の仲介役をすべきではないでしょうか? 一方、未だ解決しない日本の国境線、未だ平和条約や友好条約が結ばれていない国々があることを思えば、はたして日本は本当に終戦をしたといえるのでしょうか? 今年も妙案が浮かばず、8月15日が虚しく終わりました・・・ 令和4年8月16日 00:30 文責 東方文化堂 渡邊伸二 (このページのトップに戻る)
〔2022年7月15日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ⑧ 商工業(その1:石材業) 『小野新町の特産物(昭和初期)』 小野新町駅の貨物発送数量(単位:トン) (出典:『小野町史 通史編』平成4年3月31日、小野町発行のP792・794の表をグラフ化) 『大千里(おおちり)石材店(営業中)』 (出典:『福島民報』2004年(平成16年)3月29日掲載) (補足説明)「二十四のトンネル」は「二十五のトンネル」の間違い。「二十四」と記載している文献が多い。 〇←小野新町駅・夏井駅→ 〇 夏井・小野新町駅間の(旧)夏井川谷津作橋りょう 〇 位置:いわき駅から39.726km(平成15年8月23日、渡邊伸二撮影) 〇←夏井駅・小野新町駅→ 〇 夏井・小野新町駅間の(新)夏井川谷津作橋りょう 〇 位置:いわき駅から39.511km(令和4年5月29日、渡邊伸二撮影) 〇夏井駅側から見る 〇 川前・夏井駅間の五味沢トンネルの入口と内部 〇 (平成15年8月23日、渡邊伸二撮影)
〔2022年7月1日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ⑦ 金融業 『田村実業銀行 → 東邦銀行小野支店(営業中)』 ・大正10年3月 、小野新町字仲町39に「田村実業銀行」創立、 ● 頭取:永山徳一(石城郡川前村) ・昭和3年1月15日 、小野新町字仲町41に移転 ・昭和18年3月1日 、「東邦銀行」と合併し「東邦銀行 小野新町支店」となる ・昭和56年10月1日 、「東邦銀行 小野支店」に改称 ・平成13年11月12日、小野新町字荒町11に新築移転 ● 田村実業銀行(字仲町41) 永山徳一 ● (美正写真館撮影、写真提供:先崎福夫) (出典:『東邦銀行二十年史』 ● 昭和38年2月28日、東邦銀行発行) ●東邦銀行小野支店(字仲町41) 東邦銀行小野支店(字荒町11) 〇(出典:『東邦銀行四十年史』 (令和4年3月29日、渡邊伸二撮影) 〇昭和58年1月31日、東邦銀行発行) 田村實業銀行 (川前出張所の開設期間は未確認) (出典:『磐城信用録』昭和4年3月25日、東北實業新聞社発行、国立国会図書館所蔵)
〔2022年6月15日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ⑥ 農林業 (その2:葉煙草・馬・繭(まゆ)) 『小野新町の特産物(昭和初期)』
小野新町駅の貨物発送数量(単位:トン) (出典:『小野町史 通史編』平成4年3月31日、小野町発行のP792・794の表をグラフ化) 『葉煙草』 小野新町地方で栽培されている「松川葉」 葉煙草の農作業 (出典:『たばこ専売史 第1巻』昭和39年3月30日、 (出典:『1973年版〈小野町町勢要覧〉』 日本専売公社発行、原本所蔵) 昭和48年3月、小野町役場発行、原本所蔵) ○煙草「錦」の小型ブロマイド 「錦」のパッケージ(昭和12年5月~昭和17年度発売) (出典:田村郡夏井駅前「斎藤國太郎商店」、原本所蔵) 「錦」は松川葉系統を約10%配合していた ○ (出典:『たばこ専売史 第4巻』昭和38年10月1日、 日本専売公社発行、原本所蔵)小野新町には「郡山地方専売局小野新町出張所」が有った (5月15日「④小野新町名所」に掲載済み) 『馬』 小野新町の馬のせり場・昭和17年春 小野高応援団と馬のせり場 (出典:『小野町史 民俗編』昭和60年3月30日、小野町発行) (昭和52年7月29日、渡邊伸二撮影) (このページのトップに戻る)
〔2022年6月1日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ⑤ 農林業(その1:特産物・木材・薪炭(しんたん)) 『小野新町の特産物(昭和初期)』 小野新町駅の貨物発送数量(単位:トン) (出典:『小野町史 通史編』平成4年3月31日、小野町発行のP792・794の表をグラフ化) ○ 小野新町停車場の景・右側が貨物エリア(絵葉書、原本所蔵) 『木材』 ○ 木出し 吉田材木店の前掛け ○(出典:『小野町 通史編』平成4年3月31日、小野町発行、原本所蔵) (現、ヤマタ材木店所蔵) 『薪炭(しんたん)(薪(まき)と木炭(もくたん))』 ○ 昭和初期の原木の運送 村山商店前の薪の山 ○ (写真提供:リフレクシダ) (令和4年5月22日、渡邊伸二撮影) ○ 昭和初期の小野新町と夏井村の薪炭業者 ○ 〔凡例〕生:生産業者、移:移出業者、販:販売業者 ○ (出典:『全國薪炭業者名鑑』昭和8年12月1日、東京薪炭商報社発行、国立国会図書館所蔵) ○ 昭和25年当時の櫛田商店(写真提供:リフレクシダ) ○ 福島縣田村木炭同業組合 大竹式製炭講習會(福島縣田村木炭同業組合) ○(出典:『全國薪炭業者名鑑』昭和8年12月1日、 (出典:絵葉書、原本所蔵) ○ 東京薪炭商報社発行、国立国会図書館所蔵)
○ 現代の炭焼き小屋 俵炭のミニチュア (出典:「マルスズ」のパンフレット、原本所蔵) (製造元:マルスズ、現品所蔵) (このページのトップに戻る)
〔2022年5月15日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ④ 小野新町名所(昭和初期の時代) ○ 小野新町警察署前荒町通 郡山地方専売局小野新町出張所 県立小野新町煙草試験場及煙草神社 福島県蚕業試験場小野新町支場遠景○ ○ ○○ 小野新町塩竃神社 小野新町塩竃神社境内の桜 ○ 小野新町和久稲荷神社 絵はがきを入れる袋 (すべて、原本所蔵) (このページのトップに戻る)
〔2022年5月1日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ③ 愛子(めずらこ)神社 1 平安時代の初期、愛子(珍敷御前)は京都より下向した 「小野篁(おののたかむら)」の館に使え、 篁との間に比古姫(小野小町(おののこまち))を生んだと伝えられる。 篁が比古姫を連れて京都に上がった後に、 この地に残された愛子を祀ったのが「愛子神社」です。 ● 珍敷御前(愛子)神社(令和4年3月1日、渡邊伸二撮影) 小野町(小野新町)の地名は、この篁に由来する。 篁は「日本後紀(にほんこうき)」と「続日本後紀(しょくにほんこうき)」 に多くの記載がある。
『平郡線(現、JR磐越東線)の小野新町駅のホームを造る際に、 同地に鎮座していた「愛子神社」を今の場所に遷宮した』 次の絵葉書の小野新町停車場(駅)完成直後の絵葉書です。 ● 小野新町停車場の遠景(絵葉書、大正4年頃、原本所蔵) ● 愛子の墓の周辺と五輪塔(愛子の墓石)の拡大写真 ● (いずれも、令和4年3月1日、渡邊伸二撮影) ● 小野篁館跡の石碑と説明図(JR小野新町駅前) ● (いずれも、令和4年3月2日、渡邊伸二撮影) ● 矢大(やだい)神社(小野篁を祭り、別名「篁宮」「篁神社」) ● (いずれも、令和4年3月1日、渡邊伸二撮影) (このページのトップに戻る)
〔2022年4月15日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ② 街の中心地 ● 大正時代の小野新町市街 ● 左側から扇屋、さのや、小野新町警察分署、会田屋呉服店、旅館西田屋 ● (絵葉書、原本所蔵) ● 令和時代の小野新町市街 左側から扇屋、サノヤ、小野新町郵便局(元、小野新町分署)、あいたや、西田屋本店 ● (いずれも、令和4年2月14日、渡邊伸二撮影) ● 大正時代の扇屋 令和時代の扇屋 (出典:『新町みやげ』大正4年3月20日、小野新町協賛会発行)(令和4年2月25日開店前、渡邊伸二撮影) ● 大正時代のさのや 令和時代のサノヤ (出典:『新町みやげ』大正4年3月20日、小野新町協賛会発行) (令和4年2月25日、渡邊伸二撮影) ● 大正時代の会田屋呉服店 令和時代のあいたや (出典:『新町みやげ』大正4年3月20日、小野新町協賛会発行) (令和4年2月25日、渡邊伸二撮影) ● 大正時代の旅館西田屋 令和時代の西田屋本店(割ぽう料理専門、要予約) (出典:『新町みやげ』大正4年3月20日、小野新町協賛会発行) (令和4年2月25日、渡邊伸二撮影) (このページのトップに戻る)
〔2022年4月1日掲載〕 【1.小野新町の歴史】 ① 店主の子どものころ ・1961年(昭和36年)9月に、福島県小野町の本町で誕生 1979年(昭和54年)8月の本町(渡邊伸二撮影) 左側から阿部米穀店、国分パン屋、(個人宅)、阿部産業(個人宅と阿部産業が、 今の小野町観光タクシー)、旭クリーニング店(今は小野町観光タクシーの小野校側に移転)、 保泉寺、下遠野かごや、(個人宅)、(個人宅)、草野花屋、(個人宅) ・1974年(昭和49年)3月に、小野町立小野新町小学校を卒業 バルコニーのあるカッコウイイ木造校舎に入学し、小学4年生から新校舎 を使用 新築の小野新町小学校全景 小野新町小学校の改築を前に旧校舎記念の人文字 ①(絵葉書、原本所蔵) (写真、渡邊伸二所蔵) 小野新町小学校創立百周年記念の文鎮 新校舎と新体育館 (昭和48年10月14日、現品所蔵) (出典:『昭和48年度卒業記念アルバム』、原本所蔵) ・1971年(昭和51年)9月26日「山口百恵ショー」が開催 ① 当時のチラシ ステージ写真(渡邊伸二撮影) ・1977年(昭和52年)3月に、小野町立小野中学校を卒業 小野中学校 (出典:『昭和51年度卒業記念アルバム』、原本所蔵) ・1980年(昭和55年)3月に、福島県立平工業高等学校を卒業 (このページのトップに戻る)
3月に【予告編】を2回掲載します。 〔2022年3月15日掲載〕 【予告編②】 小野新町(福島民報 1915年(大正4年)4月3日掲載) 次の記事は、磐越東線で2番目の三春駅・小野新町駅間が 部分開通(1915年(大正4年)3月21日)した直後に書かれた。 (補足説明)記事中の固有名詞と漢字のルビは、次が正しい表記です。 小野新(しん)町 → 小野新(にい)町 、 雁段(だん)田 → 雁股(まん)田 、 菖蒲谷(たに) → 菖蒲谷(や) 、 私立新(しん)町(まち)病院・私立新(しん)町(まつ)病院 → 私立新(にい)町(まち)病院 、 新(しん)町郵便電信局 → 小野新(にい)町郵便局 (このページのトップに戻る)
〔2022年3月1日掲載〕 【予告編①】 平郡線縦断記 (福島民報 1914年(大正3年)8月5日~15日の間で計9回の連載から抜粋) 「平郡線」とは、今のJR「磐越東線」が全線開通するまでに地元で使われた呼称です。 次の記事は、磐越東線で最初の郡山駅・三春駅間が部分開通(1914年(大正3年)7月21日) した直後に書かれたものです。 「平郡線縦断記(三)」(福島民報 1914年(大正3年)8月8日掲載の抜粋) (中略) 「平郡線縦断記(四)」(福島民報 1914年(大正3年)8月9日掲載の抜粋) (後略) (このページのトップに戻る) |